Google Summer of Code Mentor Summitに参加してみていろいろ考えたことを文章化しました。 (2008年2月13日 Bloomington, Indiana, USA.にて)

開催概要

Google Summer of Code

Google Summer of Code(以下SoC)は学生が夏休みを利用しフリーソフトウェア・ オープンソース(以下FLOSS)プロジェクトに参加するイベントである。 Google 主催。各FLOSSプロジェクトがメンター組織・メンターという形で参加する学生 をサポートする。

まずGoogleがSoCのメンター組織として参加するFLOSSプロジェクトの応募を募 る。これは特定のアプリケーションを開発しているグループでもいいし、プロ ジェクトを持つことが出来きアンブレラ(傘下)となる組織でも良い。メンター 組織は各組織で学生の応募を募りメンターと呼ばれる担当者が直接メンターニ ングをする。メンターニングをちょうどよい日本語に翻訳することはむずかし いが、後見人、あるいは師匠といった感じで導く役目を負う。しかし師匠と弟 子といった縦の結びつきよりも、フラットな関係にあるので、日本における主 従関係とは異なる。今一つ日本語に置き換えるのは難しいので以降文中ではメ ンターニング、そして担当者をメンターとそのまま呼ぶことにする。

現在、SoCは三回目を向かえているが、FSIJでは最初の年をコード道場、2回目 以降をSoCへの参加という形で最初から関係している。最初の年は SoCへの参加 を特にFSIJとしては考えていなかったのだが、SoCへの日本からの参加者がほと んどいなかったらしく、急遽SoCの枠組とは別にコード道場という形で日本人で も参加が簡単にできるようにGoogleサポートのイベントを主催した。2回目以 降は他のメンター組織と同様にSoC本体に合流した。

Mentor Summit

これはメンター組織のみが参加できる集まりで、一日関係者が集まり非カンファレンス方式で行う。非カンファレンス方式とは、特に事前に割り振りとかせずに、その場で取り上げるテーマや時間、会場を割り振る。現状の認識から優先順位を決め解決するには非常に柔軟に対応できるであろう。しかし実際にその方法を観察してみると、かなりの気力および瞬発力を必要とする方式で、主催側に情熱があり、強烈に仕切りがうまく、参加者も同様に積極的に参加する熱意がないと成立しないような方式である。日本のように当事者意識が薄く、お客さん感覚での参加が多い国では相当難しいことのように思われる。

Mentor Summitへの参加するための費用は上限はあるがGoogle持ちで、日本から参加した場合、航空チケット費用は100%カバーできる。また宿泊は Googleが予約をしているホテルに申し込めば2泊は無料である。さすが飛ぶ鳥を落とす勢いのあるGoogleといったところか。

尚、Mentor Summitで誰が何を言ったかはGoogle及び関係者の許可無しには外部には公表できない。他からバイアスがかからない本当の意味での自由な発言・議論が保証されるこの方式をチャッタ・ハウス・ルールというらしい。そのため以下に述べることはすべてSoC Mentor Summitに参加し、<インスパイヤ>された個人的感想である。

いろいろと思ったこと

以下思い付くままに記述していく。

SoCの認知度について

知らない者がいないほどのGoogleという存在であるが、そのGoogleが行っているかなり大きなイベントSoCそのものの認知度は低い。日本においては特にその傾向が強い。そもそもの話として日本の大学におけるFLOSSの認知度は、他の欧米諸国よりも低いように思う。私の回りでも時々話題になるのだが、海外のFLOSS関連のイベントへの学生の参加者はそこそこいるらしいのだが、日本においては本当にわずかである。日本のFLOSS関係者はどこも年齢層が高く、どのようにして後継者を育てるかが課題となっている。

日本人参加者がほとんどいない点について

複数の要因があると思われる。まず第一点目はSoCは「夏休み期間」を利用して参加するというスケジュールである。これは6月年度終わりの9月年度始まりという学事スケジュールを前提としている。4月始まりの学事スケジュールを採用している国では夏休み期間が比較して短くかつ年度途中という不利な点がある。日本において情報系学部では夏休み課題が出るのが普通であるので完全にクリアーなスケジュールを取るのは難しい場合が多い。よって学部生の参加は日本と同じ4月始まりの学事スケジュールを採用している韓国、台湾からの参加者がほとんど見られないのも同様の理由があるからではないかと考える。

日本人のコミュニケーション

先にも書いたがメンターは日本語で一番近い訳語は指導者ではあるが、その関係は指導者・指導される者ともに同格に置かれる。既に指導者という言葉を使った時点で、主と従の関係を暗喩している儒教文化の影響下にある日本において、この関係は言葉では理解出来ても感覚的には理解できる人は少ないと思われる。その立場でコミュニケーションすることを期待されるわけである。日本人がメンターになる場合、過去に海外のFLOSS関係者との交流を通し、このような文化的違いがあることを理解し十分な経験を積んでいる者であれば問題はないと考える。またそれなりの人材は多くはないが、ある程度の数は供給できると考える。しかし、日本から参加する学生は、たぶんこのような経験を積んでいない。日本における教育スタイルは参加型ではなく受身型であるからだ。90年代に教育スタイルを受身型から参加型へ変貌される試みがあったが、本質的な部分は理解されず「ゆとり教育」という「ドリル(反復トレーニング)が少ない教育法」という誤った認識が広がった。現在の日本においては「ゆとり教育」というキーワードは失敗した教育政策と理解される。いずれにしろ日本の持つ文化的背景においては参加型教育というのは少なくとも成功はしていないし、早晩に受け入れられる土壌があるとはいえない。

このような受身型教育を長年に渡り受けてきた日本の学生が海外のメンターとともにプロジェクトを進めるのはコミュニケーションの面でかなり困難を伴うと考えた方がいい。教育文化によるコミュニケーションギャップを英語能力によるコミュニケーションギャップと認識しがちである。もし、英語が上手に話せないのが問題というならフランス語圏、東欧のスラブ言語圏、中国語圏からの多くの参加者が日本人よりもよくコミュニケーションできる状況をうまく説明できない。

モチベーション

学生が参加した時点で500ドル、2、3ヵ月努力し成功終了時に4500ドルが与えられるというのはかなりのモチベーションとなる。日本のような先進国であっても学生にはそこそこの金額だし、いくつかの国では明らかに大金である。海外のメンターに聞くと、その金目当てに申し込んでくる学生が後を絶たないようだ。採用にあったっての見極めは非常に困難を究める。学生はせいぜい数年のプログラミングのキャリアしかなく、FLOSS側から見れば新規参加者かそれに近い存在だといっていい。つまり採用にあたっては申し込み時の自己申請程度の情報しか手に入らない。申し込みは世界各地から届き、メンターが担当することになった学生が地球の裏側というのもしばしばである。採用する際の情報を得るために面接を行うというのは事実上不可能である。基本的にメールでやりとりするためにこちらからのインタビューに対する答えを作成する十分な時間がある。良い意味でも悪い意味でも相手に時間的チャンスを十分に与えていることになる。悪意をもって最初の500ドルを得るための巧妙な作戦に出られたら、こちらとしてそれを見破る術はそんなにも多くはない。SoCは当然ながら個人で参加するのがルールであるが、残りの4500ドルを入手するために表は個人で裏ではグループで行っていてもメンターは、そう簡単に見破ることはできない。

さて日本の学生を考えてみる。私の経験からいえば日本の学生は優秀になれば優秀になるほどリスクを冒さない。結果次第で4500ドルが得られるという条件は一方で払われない場合のリスクを同時に考え始める。最終的には日本においては効率的な収益の方法でないことに気づく。故にお金を得るというのは優秀な学生を得るモチベーションとしては難しいであろう。

むしろ知的好奇心やあるいは、新たな経験を得るために参加を希望するといった形になるのが主流だと思う。健全であると思うが、このような自分から働きかけて進むような前向きな学生はそうは多くないことは付け加えておく。

このような短期的な金銭的利益を得るのではなく、長期的利益を求める、つまりここで得られた経験や技術が将来に良い影響をことになるだろうという、ある意味健全な利益である。ただし長い目でみて自分のためになるということを考えてSoC応募するのは、他の応募者との競争では不利になる可能性がある。なぜならば成果物やゴールの基準が短期的に考える者と長期的に考える者とは違うし、短期的に考える者の方がある意味、わかりやすいゴールを示すことが出来ると思うからである。メンター側がその点を理解してくれればいいが目先の成果に目を奪われてしまえば不利になる可能性は否定できない。メンターの中でも長期的な視点で考えるべきか、短期的成果で考えるべきかは議論の対象であり、またそれに対する答えも様々である。

日本からの参加者増加について

日本からの参加者を増やすことだけを考えるなら大学のチャネルをつかい、大学側から広報してもらう、あるいは大学教員から推薦してもらうなどといった、学生を後ろから後押するような方法が有効であると思う。しかしFLOSS開発者として求められる人材像は自分の意思で行動し判断できる者である。また時として自己犠牲的精神を伴う努力が必要とされる場合もある。そのような人材像を考えたとき「他人にやれといわれたからやる」といった意識しかもたない主体性のない学生が応募してきて、かつ、採用されてしまうという状況が出てくると、短期的な成果はあげることはできても、本来のSoCの役目は果たせない。本末転倒な状況が生まれる。一方で日本においては後押しをしないとそうそう参加者が増えるとも思えない。ジレンマである。

今後FSIJ的に考えるとしたら

GoogleおよびFSIJがSoCの参加者を日本の学生に直接呼びかけてもそんなに効果はないように思える。理由は、このようなクリエイティブな正統派カルチャーを日本から発信することはほとんど見当たらないからである。このようなものは海外で評価を受け、メインストリームになってから、それを輸入する形で受け入れるパターンばかりである。その文化をFSIJが変えることもできないだろう。FSIJ 的にはあまり日本に拘る必要はないのではないかと思う。日本を拒む理由はないが、かといって日本を優遇する理由もないと考える。現在もそうであるが、より広域に対応していった方がFSIJの能力的には良い方向にむかうのではないかと考える。

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